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ジョハナスバーグ/八神純子


ジョハナスバーグ
 八神純子
 収録アルバム : コミュニケーション
 release:1985 
 

 

八神純子さんの1985年の楽曲。
南アフリカヨハネスブルグJohannesburg)のことを歌った曲です。
Johannesburg」を英語読みすると「ジョハナスバーグ」という発音になるようです。

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photo by Keenan Constance (@keenangrams) | Unsplash Photo Community
ヨハネスブルグの街並み

ご当地ソングといえばたいがい、愛や恋をテーマにした軟派なものが主流ですが、この曲のテーマは「反アパルトヘイト」とかなり硬派です。当時、南アフリカに暗い影を落としていた、肌の色の違いでもって社会を分断するという実に愚かしい政策に対する、若干皮肉が込められたような憂いの感情が、クールな都会風のレゲエのリズムに乗せて淡々と歌われます。日本の女性ポップスシンガーがここまでメッセージ色の濃い曲を歌うことは、なかなか珍しいことのような気がします。

調べてみたところ、この「ジョハナスバーグ」がリリースされた1985年は、超有名どころではU2のボノや、マイルス・デイヴィスブルース・スプリングスティーンなど、英米を中心に総勢約50人もの反アパルトヘイトの立場をとるミュージシャンたちが結集した一大音楽プロジェクト、その名も「アパルトヘイトに反対するアーティストたち(Artists United Against Apartheid)」によるプロテストソング「Sun City」が発表された年でもありました。


Sun City
 Artists United Against Apartheid
 収録アルバム
  Sun City: Artists United Against Apartheid

 release:1985
 
 


 

80年代中期といえば、南アフリカアパルトヘイト政策に対して最も国際的非難が高まっていた時期だったように思います。大変な問題だとは理解しつつ、日本にいる者からすれば正直、どうしてもどこか「遠い国の出来事」という感覚が否めませんでしたが、当時、すでに活動の場を徐々に海外に移し始めていたらしい(1983年最初の渡米とのこと)八神さんは、こういった世界の動きも直接肌で感じとっていたのかもしれません。

そして5年後の1990年、国家反逆罪で終身刑となっていた反アパルトヘイト運動の英雄、ネルソン・マンデラ氏が釈放された年に、八神さんは「南風(マンデラ氏に捧ぐ)」(1990年のアルバム「MY INVITATION」に収録)という、「ジョハナスバーグ」の続編ともとれるような曲をリリースしています。南アフリカの前途にようやく明るい兆しが見えてきたことにひとまずほっと安堵しているかのような、強さと温かさの両方を感じる曲です。けして問題提起しっぱなしにしないところに、八神純子さんのアーティストとしての矜持を感じます。思えば、東日本大震災の被災地支援も、震災直後から今に到るまで長年に渡って継続し続けている八神純子さん。歌を通して社会にできることは何かを常に問い続けている方のような気がします。

そんなこんなで「ジョハナスバーグ」は、ポップスシンガー・八神純子に思いがけなく、”ロックの精神”を見たような気にさせてくれる、気骨ある一曲でした。


  作品データ  

ジョハナスバーグ
リリース:1985(昭和60)年
収録アルバム「コミュニケーション」/シングル「チーター(CHEATER)」B面曲
歌:八神純子
作詞・作曲:八神純子
編曲:大村雅朗

コミュニケーション(紙ジャケット)

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